書評を読んでから、ずいぶん時間が経ってしまい、
そもそも、どのように紹介されていたから読む気になったのかを忘れてしまったけれど、
木内昇さんの「占」を読んだ。
「占い」に一筋の希望を求める女たちの姿が7つの短篇に描かれている。人が占いの果てに見つけるものは、自分自身かもしれない。
この中の短編に、薬剤師として大手の会社で働いていた女性が、家業を継いで大工の棟梁として職人をまとめていく話がある。まだまだ女性の社会的地位が認められていなかった大正期、薬剤師を生涯の仕事と心に決めて働いていた主人公は、同僚の男性たちから「可愛げがない」「嫁の貰い手がなくなる」などと評されて家業を継ぐ決心をするが、そこでも、職人の扱いに悩み、占い(ここでは話を聞くだけの喰い師)にいくという内容だ。(ざっくり言うとですが)
ここで、重ねて通う主人公に喰い師が「人にはそれぞれ、大事にしているやり方というのがある。人が人に対して憤りを感じるとき、個々が大切にしているものの相違が原因になっていることがおおかたなのです。」と告げます。その後、主人公は自分の気持ちと向き合って、清々しい境地に到るのですが、
喰い師の言葉に、本を読む数日前に見た「大谷翔平の名言」と言うのを思い出しました。
大谷翔平はイライラしない。イラつく時は、また一つ自分の強みが発見できた。そう思えばストレスもたまらない。あの人いつも時間に遅れてくるな、と思うのはい時間をいつも守るから。周りに配慮がないな、と思うのはいつも周りに気配りしてるから。そう思うようになってイライラが激減した。イライラは自分の強みを再確認するチャンスなんです。
普通の人が言ったら、イヤミかもですが出来過ぎくんの大谷翔平さんの言葉だと、すんなり納得です。
大切にしているものの相違を、相違だと認めれば、悩みやモヤモヤから開放されてもっと自由になれる気がします。